「クラーナハ展」 500年後の誘惑 (会期:'2016・10/15[土]〜2017・1/15[日]) 東京会場:国立西洋美術館
記者発表会 |
'2016 4_4 会場:国立西洋美術館(東京・上野公園) 講堂にて 「クラーナハ展」 の記者発表会が行われました。
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【主催者代表挨拶】 馬渕 明子(国立西洋美術館 館長)、ザビーネ・ハーク(ウィーン美術史美術館 館長)、菅井 龍夫(TBSテレビ取締役) 【来賓挨拶】ベルンハルド・ツィムブルグ閣下(駐日オーストリア大使) 【展覧会紹介および作品解説】新藤 淳(国立西洋美術館 研究員)、グイド・メスリング(ウィーン美術史美術館 学芸員) |
クラーナハ展
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500年後の誘惑 |
LUCAS CRANACH THE ELDER 500 Years of the Power of Temptation |
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ルカス・クラーナハ (父、1472-1553年) は、ヴィッテンベルクの宮廷画家として名を馳せた、ドイツ・ルネサンスを代表する芸術家のひとりです。
大型の工房を開設して絵画の大量生産を行なうなど、先駆的なビジネス感覚を備えていた彼は、一方でマルティン・ルターにはじまる宗教改革にも、きわめて深く関与しました。
また、クラーナハが描きだしたユディトやサロメ、ヴィーナスやルクレティアの特異なエロティシズムは、当時の鑑賞者だけでなく、後世の人々をも強く魅了してきました。 「クラーナハ展―500年後の誘惑」 では、クラーナハの芸術の全貌を、当時のドイツの思想や文化、社会や政治の状況などと併せて読み解き、さらには彼の死後、近現代におけるその影響にも迫ります。 1517年に開始された宗教改革から、ちょうど 500年を数える 2016-17年に開催されるこの展覧会は、オーストリア、ドイツ、オランダ、ハンガリー、イタリア、スペイン、イギリス、アメリカ、台湾、日本など、世界中から集められた絵画や素描、版画など約 100 点で構成される、史上最大規模のクラーナハ展となります。 |
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会期: 2016 10/15 [土]〜2017 1/15 [日] 休館日: 毎週月曜日 (ただし、2017年 1月2日[月] は開館)、2016年 12月28日(水)-2017年 1月1日(日) 開館時間: 午前 9時30分 ― 午後 5時30分 (金曜日は午後 8時) ※入館は閉館の30分前まで 東京会場: 国立西洋美術館東京・上野公園 主催:国立西洋美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、朝日新聞社 大阪会場: 2017 1/28 (土) - 4/16 (日) 国立国際美術館大阪・中之島 |
'2016 4_4 「クラーナハ展」の記者発表会のご紹介です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
「クラーナハ展」 記者発表会 '2016 4_4 国立西洋美術館 講堂 |
クラーナハの絵画が時を超えて放つ 「500年後の誘惑」 を体感する! |
「クラーナハ展」 展覧会の概要 ― 「クラーナハ展」の報道資料、プレス説明会、他よりの抜粋文章です ― |
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多岐にわたるクラーナハの芸術の展開を詳細に跡づけるべく、長い修復作業を経て出品されるウィーン美術史美術館の傑作 《ホロフェルネスの首を持つユディト》、フランクフルトのシュテーデル美術館に所蔵される代表作
《ヴィーナス》、ブダペストのラーダイ改革派教会図書館に収めれる初期の重要作 《聖カタリナの殉教》 をはじめ、およそ 40点あまりの厳選された絵画、そして多様な版画作品によって構成されます。 ウィーン美術史美術館の所蔵作を中核とし、アムステルダム、ブダペスト、フィレンツェ、マドリード、ニューヨーク、ワシントン DCなど、欧米の数多くの都市から集められる絵画や版画、さらに日本の美術館や国立西洋美術館の所蔵作によって組織される。 |
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T クラーナハの若き日々は、ほとんどが闇に包まれている。 この画家がようやく歴史の表舞台に登場するのは、30歳に近づいた 1500年頃に、ウィーンで残した足跡をつうじてである。ハプスブルク家が築いた広大な神聖ローマ帝国の政治的・文化的な中心地だったその都市において、クラーナハは先端的な人文主義たちと親しく交わり、その豊かな知的環境のなかで画家として頭角を現す。 そんな彼の芸術は、ほどなくして、学芸を庇護する権力者の眼を惹くことにもなる。 1505年、ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公に見初められたクラーナハは、宮廷画家としてヴィッテンベルクに招かれたのである。 のちにマルティン・ルターによる宗教改革の震源地ともなるそのヴィッテンベルクこそが、以後長らく、クラーナハのホームグランドとなった場にほかならない。 そこでザクセン公家に仕えたクラーナハは、1508年のネーデルランド旅行の成果やイタリア・ルネサンス美術から受けた影響をきわめて独自に消化しながら、宮廷人たちの趣味や信仰心に見合った作品、あるいは政治的プロパガンダに貢献するイメージを数多く生みだしていくことになる。 またそればかりか、彼はみずから大型の工房を開設/運営し、息子のルカス・クラーナハ (子) や弟子たちとの協働作業をつうじて、絵画の大量生産をはかった。 蛇をモティーフにした署名を 「商標」 代わりとし、いわば自身の芸術のブランディングに成功したクラーナハは、自立的な事業家として、まったく先駆的な営為を展開したのである。 |
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ルーカス・クラーナハ (父) 《聖カタリナの殉教》 1508年頃 油彩/板 (菩提樹) 112 x 95cm ブダペスト、ラーダイ改革派教会図書館 |
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聖カタリナは、キリストへの強い帰依と博識によって異教の学者たちを論破し、改宗を促したローマ皇帝の提案までをも無下に断ったために、拷問を受けて殉教したと伝えられる。そんな敬虔な聖女は、とりわけ中世末期から、聖母マリアにつぐ模範的な女性のひとりとして人々に崇拝されていた。
ただし、クラーナハが描いたのは、聖カタリナの 「死」 そのものではない。 隕石の落下を思わせる終末的な光景、無残に壊れた車輪、混乱して逃げまどう人々……。
画家が見つめるのは、その聖女が生んだ天変地異のほうである。 車輪に括られて八つ裂きにされるはずだった聖カタリナは、神に祈ったことで特異な力がまとい、手で触れただけで拷問具を木っ端微塵に破壊してしまったという。
首を切られる直前に彼女が引き起こした、そうした超自然的な出来事を、クラーナハはアルブレヒト・デューラーの木版画にも刺激されながら、それまでのドイツ絵画には見られなかった鮮烈なヴィジョンで視覚化している。 |
V みずからの芸術を一種の経済活動とも考えていたにちがいないクラーナハにとって、描いたイメージを不特定多数の人々のもとへ散布することのできる版画という複製媒体は、板やカンヴァスを支持体とする絵画に負けず劣らず重要なものであった。 16世紀初頭のドイツにおいて版画は、概して絵画よりも実験的な表現をおこないやすい新メディアだったのである。 それは画家たちにマス・プロダクションを許す技術であったと同時に、特定の注文主の趣味や意向には必ずしも拘束されない自発的なクリエーションを可能にしたのである。 |
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ルーカス・クラーナハ (父) 《聖クリストフォロス》 1506年 キアロスクーロ木版 28.2 x 19.8cm アムステルダム国立美術館 |
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クラーナハにとって版画は、彼の絵画作品にも見られる屈曲した 「線」 の運動――うねり、もつれ、特異なリズムを生みだすグラフィズムを、誰にも制限されることなく展開することのできるフィールドだった。 しかもこの画家は、そのような自身の線の芸術を、もっぱら白黒の世界にとどめはしなかった。つまり、クラーナハこそ、西洋版画史の中核をなすドイツにおいて、多色刷り木版を最初に試みた人物にほかならないのである。 その多色刷り版画では、複雑にうごめく黒い線が、重くも鮮やかな色彩と小さな画面のなかで絡みあい、まったく新たな視覚世界を織りなしている。 |
X クラーナハの多種多様な絵画をあらためて見渡すとき、一見したところ無関係であるかに思える作品群のなかに、ある根源的なテーマが浮かび上がる。 すなわち、「女のちから」 (Weibermacht) と呼ばれる主題系である。 たとえば、イヴの誘いに負けて禁断の果実を食べてしまったアダム。 敵将ホロフェルネスのふところに潜り込み、彼を油断させることで惨殺したユディト。 踊りによって王を悦ばせ、褒美に洗礼者聖ヨハネの斬首を求めたサロメ。 王女オンファレの美貌に骨抜きにされ、羊毛を紡ぐはめになった豪傑ヘラクレス。 ヨーロッパの美術史や文化史における 「女のちから」 とは、女性の身体的な魅力や性的な誘惑によって男性が堕落ないし破滅に陥る物語のことをいう。 それは古代神話、旧約聖書、新約聖書、より世俗的な寓話など、実に広範な源泉のなかから見出される 「誘惑」 の類型的イメージにほかならない。 クラーナハは、こうした 「女のちから」 というテーマを、みずからの芸術の根幹をなすものとして選びとり、くりかえし描いた。 もちろん、それらの絵画には教訓的な意味合いが込められていた。 |
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・(左) ルーカス・クラーナハ (父) 《ホロフェルネスの首を持つユディト》 1530年頃 油彩/板 (菩提樹) 87 x 56cm ウィーン美術史美術館 ・(右)ルーカス・クラーナハ (父) 《洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ》 1525/30年頃 油彩/板 (菩提樹) 87 x 56cm ブダペスト、国立西洋美術館 |
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無残に切断された男の頭部を、こちらへ差しだす女。 いまだ生々しい傷口を覗かせ、断末魔の叫びを残しているかのようなその首が、ほかならぬ女性自身の持つ剣によって斬り落とされたものであることは、誰にも容易に察しがつくだろう。
しかし、華麗な貴婦人の装いをしたその女は、身じろぎひとつせず、いっさいの情動を失ったかのような物いわぬ表情で、どこまでも冷たい視線をわたしたちに送る。 『旧約聖書』 外典に記された 「ユディト」 の物語を描いた画家は、数知れない。 ユダヤの民を救うために敵であるアッシリア軍の将軍ホロフェルネスに取り入り、彼を泥酔いさせたあげくに斬首したユディト。 クラーナハの時代の思想や信仰に照らせば、ホロフェルネスが 「情欲」 や 「高慢」 を象徴する一方、ユディトは手にした剣によって 「正義」 を表わし、その存在において 「慎み」 と 「節度」 を体現しているということになる。 これほどまでに醒めきった姿のユディトを描写した画家が、美術史上に、ほかにいるだろうか。 このたび数年がかりの修復を経てウィーン美術史美術館から貸し出される本作は、そんなクラーナハにしか描くことのできなかったユディトの醒めた誘惑を、ほかのどの作品よりも強く放つ一枚である。 |
ウィーン美術史美術館 |
ウィーン美術史美術館 外観 © KHM Museumsverband |
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ウィーン美術史美術館 ―PRESS RELEASEより抜粋文章― |
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オーストリア連邦の首都ウィーンが誇るもっとも重要な名所のひとつで、ヨーロッパ最大の貴族として栄華を誇ったハプスブルク家 600年の至宝など数十万点を所蔵する世界屈指の大美術館、3階建ての本館内の展示は、「古代エジプト・オリエント」
「古代ギリシア・ローマ」 「彫刻・工芸」 「絵画」 「古銭」 の 5部門で構成され、2階の絵画部門では 《バベルの塔》 など世界最多を誇る 12点ものピーテル・ブリューゲル
(父) のコレクションをはじめ、およそ 7000点の名画が並ぶ。 |
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ウィーン美術史美術館 正式名称 Kunsthistorisches Museum Wien 開館 1891年 総館長 ザビーネ・ハーク氏 入館者数 703,588人 (2012年) *内、日本人は約 10 % (海外来館者のなかでもトップクラス) 所蔵点数 エジプト・オリエントコレクション: 15,647点 / 古代コレクション: 28,050点 / 絵画コレクション: 7,100点 / 美術・工芸コレクション: 10,588点 / 貨幣コレクション: 70万点 / 合計: 761,385点 |
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TBSは 2013年10月9日 ウィーン美術史美術館と 10年間にわたるパートナーシップを日本で初めて締結しました。 契約期間: 2013年11月1日―2022年10月31日の 10年間 600年にわたって収集されたハプスブルク家の美の遺産の中から、世界的にも貴重な珠玉の名作の数々を紹介する展覧会を 2016年より数年ごとにウィーン美術史美術館と共同の企画で、国立西洋美術館等の美術館で 3 期に分けて開催いたします。 第1回 「クラーナハ展」 2016年10月15日〔土〕―2017年1月15日〔日〕 国立西洋美術館 / 2017年1月28日〔土〕―4月16日〔日〕 国立国際美術館 第2回 検討中 オーストリア日本修好通商条約約 150年 2019年10月19日〔土〕―2020年1月26日〔日〕 国立西洋美術館 第3回 検討中 2022年―23年頃 |
お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル) 展覧会サイト:http://www.tbs.co..jp/vienna2016/ 国立西洋美術館サイト:http://www.nmwa.go.jp/ 主催:国立西洋美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、朝日新聞社 後援:外務省、オーストリア大使館、BS-TBS、TBSラジオ、J-WAVE 特別協力:大和ハウス工業株式会社 協賛:大日本印刷 協力:オーストリア航空、ルフトハンザカーゴ AG、日本通運、西洋美術振興財団 |
参考資料:「クラーナハ展」PRESS RELEASE & 報道資料 、他。 |
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